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ポール・ジャクレー 展覧会 Paul Jacoulet Exhibition

作家情報

ポール・ジャクレー/Paul Jacoulet
明治29年(1896)〜昭和35年(1960)
フランス パリ出身

略歴

ポール・ジャクレーはフランス語教師だった父とともに4歳で来日。日本の古典文化に親しみながら育ちました。11歳の頃から浮世絵版画に興味を示し、黒田清輝や久米桂一郎から油彩を学んだ後、池田輝方、蕉園夫妻から日本画を学び、多くの肉筆浮世絵を描きました。1930年頃、当時勤めていたフランス大使館を辞職し、本格的に画業へ取り組むようになります。以降は母の住む朝鮮に滞在しながら、毎年南洋諸島を訪れるようになり、現地の人々をスケッチしたり写真に収めたりしました。1931年に赤坂に転居すると、美術史学者である藤懸静也のすすめで版画制作をはじめ、1933年にジャクレー版画研究所を設立します。その翌年から木版画の出版を開始しました。その後、雑誌「浮世絵芸術」で作品が紹介され、1936年には初個展を開き、翌年にはホノルルで個展を開催しました。1944年より軽井沢に移住し、戦後は海外でも多くの個展を開催していきます。世界各地を巡って写生を行い、100点以上のスケッチを残しましたが、ジャクレーの死によりそのほとんどが版画化されることなく終わりました。日本人作家とは全く異なる、斬新で大胆な作風は、同時期に活躍したヘレン・ハイドやエリザベス・キース、バーサ・ラムら外国人絵師とも一線を画し、新版画と現代版画の境界線上の作品と位置付けられ、国内外で高い評価を得ています。

作品の特徴

ポール・ジャクレーの作品は、旅のなかに着想を得るという独自のスタイルから生まれています。華やかな色彩とエキゾチックな雰囲気とも相まって、国内外の数多くの愛好者を魅了してきました。韓国や中国、そして日本やミクロネシアを題材とした水彩画や木版画を制作していますが、インスピレーションを受けた土地がどこであろうとも、その作品の構成は浮世絵の伝統的な技法に根ざしています。使用する絵具にも、摺りの仕上がりにも細心のこだわりを見せ、自然な仕上がりを求めて金粉や銀粉、真珠や螺鈿の貝の粉を用いて改良・開発を重ねました。また、伝統的な日本の版画家が多くても20枚から30枚の版木を使うところを、ジャクレーは200枚前後も使用したとされています。その上、完璧な作品だけを求めたジャクレーは、摺った物の半分を破棄することもあったといわれています。作品を最高の仕上がりにするために決して妥協を許さなかったジャクレーの、芸術家としての完璧主義的一面が垣間見られます。

  • ポール・ジャクレー 塩商人
  • ポール・ジャクレー 世界風俗版画集より「新しいドレス」
  • ポール・ジャクレー 世界風俗版画集より「雪の夜、朝鮮」
  • ポール・ジャクレー 世界風俗版画集より「極楽鳥、セレベス島」
  • ポール・ジャクレー 世界風俗版画集より「巣(朝鮮)」