作家情報
川瀬 巴水/KAWASE Hasui
明治16年(1883)〜昭和32年(1957)
日本 東京都出身
略歴
幼少より絵に関心を寄せ、10代で青柳墨川、荒木寛友に日本画を学びますが、家業を継ぐべき長男であったことから本格的に画業に打ち込むことができませんでした。とりあえずは父親の家業を継ぎますが、画家になる夢を諦められなかった巴水は、「白馬会」で洋画を修めた後、「葵橋洋画研究所」での学習を経て、27歳で鏑木清方へ入門。そこで「巴水」の号を得ました。大正時代前半の巴水は、清方の弟子として雑誌の挿絵や口絵、広告図案などの仕事をし、「版」による制作に親しみました。その後、衰退した日本の浮世絵版画復興のため、版元である渡邊庄三郎と共に新しい浮世絵版画「新版画」を確立しました。
川瀬巴水は近代風景版画の第一人者であり、約40年にわたって日本各地を写生旅行し、旅先で写生した絵を原画とした木版画の風景画を600点以上制作しました。日本的な美しい風景を、叙情豊かに表現した作風から、「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと称されます。アメリカの鑑定家、ロバート・ミューラーの紹介により欧米でも大変人気が高く、葛飾北斎や歌川広重と並び、その頭文字から「風景画の3H(Hokusai、Hiroshige、Hasui)」と呼ばれています。
作品の特徴
川瀬巴水は新版画の中でも風景版画の代表絵師とされています。作品によっては名所をモチーフとした版画もありますが、それらは訪れた場所の中から巴水がその風景を選び、共感し、感情移入して写生したものを版画化した作品であり、最初に場所ありきで制作された浮世絵版画の名所絵とは異なります。名所を画題とした浮世絵の表現方法を活用しつつ、自らの感覚を拠り所とする、近代の眼で制作されたのが巴水の風景版画です。
巴水の作品は複雑で鮮やかな色合いが特徴で、ひとつの作品につき平均30色以上もの色数を使用しています。北斎の「赤富士」は7色、広重の作品は最も多い色数でも33色と言われているので、色の表現への強いこだわりを感じさせます。作品は時間の経過により和紙が柔らかく色もなじみ、落ち着いた風合いになっていきます。後摺りの作品も多く流通し、平成に製作された作品は「わたなべ」という朱印が入っています。
現在、川瀬巴水の作品は日本での流通が大変少ない状況です。その理由の1つは、戦争や関東大震災で失われてしまった作品が少なくないこと。2つ目の理由は、多くの作品が海外に渡ったことです。最高の木版画技術で近代日本のオリエンタルな風景を描いたことで、欧米人の間でも好まれました。アメリカではセレブにもコレクターが多く、アップル創業者であるスティーブ・ジョブズも愛好家の一人として有名です。